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執事について~その資格

 執事ができたのは、使徒の働き6章に記録されているような事情からでした。使徒6:1に、次のように書いてあります。「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」


 ギリシヤ語を使うユダヤ人たちも、ヘブル語を使うユダヤ人たちも、ともにユダヤ人でしたが、前者はパレスチナで生まれたのではないユダヤ人たちを指しています。そして、エルサレムの教会員たちは、献金を福祉のために充てていました。必要な者がいれば、そのひとりひとりの必要なところに従って分配されていました。


 はじめは、使徒たちの指導によって行われていました。しかし、何千人という者たちがバプテスマを受け、教会がどんどん大きくなっていく現実が迫ってきました。それにつれ、分配が不公平になることが、しばしば起きるというようになりました。使徒たちは、このまま自分たちが人々の食卓に仕えるということをしていたなら、彼らの生活の霊的な面がおろそかになるということに気づきました。


 そこで、彼らは、使徒6:2-4のように考えました。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」


 執事がこうして立てられたというのは、牧師の義務が、まず、第一に霊的なものであるということを前提としていることを示しています。それは反面、牧師たちに対して、教会の世的な事柄、世的な利害から来るところの重荷を負わせられてはならないということを示しています。


 ある人たちの意見では、執事は一時的な役職でしかなかったのではないかというものがあります。この考え方は、「エルサレムの教会は財産共有制がなされていて、私有財産というのが存在しなかった。そのために役職が立てられて、その財産を管理し、分配する必要があった。しかし、やがて共有財産制が教会の中から姿を消したとき、執事の役職も姿を消したのだ。」と論じます。しかし、この議論は決定的な力を持っていません。献金についての正しい聖書的解釈がなされた上でのものでないからです。こうだろうという推論から成り立ったものです。


 それに対する解答として、次のような証拠をあげることができます。まず、エルサレム教会において、会員たちは、私有財産を否定するよう強制されていません。彼らが教会にささげるためお金を持ってきたのは、自発的な思いのゆえでした。また、新約聖書のどこにおいても、エルサレムの教会も例外ではなく、共有財産制が行われていたという証拠はありません。エルサレム教会においても献金はなされましたが、会員たちはみな自分の財産は保有していました。


 使徒11:29を見ますと、アンテオケの教会も、同じように共有財産制のなかったこと、献金が自発的になされていたことが述べられています。「そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。」


 それぞれの力に応じて援助することを決めたというのは、共有財産制が存在しなかったということです。またコリントの教会に対するパウロの指示を見てみましょう。Ⅱコリント8:3-5です。「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」


 パウロはピリピ人のへ手紙、またテモテに宛てた手紙の中で、執事のことを言っています。ですから、共有財産がなかった教会に、執事職があったということは明白です。また、執事の仕事は、教会の財産管理が必要であるから、存在するというものではないということです。


 その仕事の重要性を示唆する点として、Ⅰテモテ3:8-13を見てみましょう。「執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。」


 ここを読むと、執事職が牧師職と同じだけ永続的なものとしておるということです。牧師の職が、世の終わりまで続くということを疑う人は誰もいないでしょう。しかし、それだけでなく、キリストの教会においては、執事職もまた永続的なものなのなのです。そういうことで、聖書的な教会の役職としては、牧師と執事のみが、永続的な役職として認められています。


 使徒6:3の「みたまと知恵とに満ちた、評判の良い人」という言葉は、最初の執事たちが選ばれる条件を聖霊により示されています。このことばによれば、彼らは良い評判を持っている人たちであり、熱心と敬虔さを持ち、また良い常識に富んだ人たちだったということが分かります。誰でも、執事の職に就くときには、教会が就かせる場合には、これらの資格を、よくよく考えなくてはなりません。「みたまに満ちた」という言葉は、熱心な、そして高い敬虔さを持っている人たちに対する称賛に満ちた描写です。


 執事を選ぶときには、彼らの霊性が真っ先によく観察されなければなりません。なぜなら、執事の仕事は、世俗的な仕事をもっぱらすることだからです。世俗的な仕事を取り扱う以上、彼らは霊的な心の状態で、それらを行われなくてはならないからです。難しい仕事でしょうが、Ⅰテモテ3:13の称賛が待っています。「執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができる。」ということになります。


 彼らは、教会からの贈り物をたずさえて、貧しい信仰者を訪れるということがあります。その場合、その義務を形式的に行ってはなりません。教会からの贈り物を受ける人たちの、彼らの環境と同時に彼らの霊的な状態まで観察してこなければならないのです。彼らは、教会との関係をそれまで以上に深く覚え、貧しい者たちのキリストへの信仰、今の状況に対する忍耐、キリストの教会への感謝、また世のものを捨てるといった神への信頼といった、霊的な豊かな表現に接することを意識しなければなりません。


 そういう言葉や態度に接することができるのは、執事の特権であり、彼らの愛の労苦は、豊かに報われるのです。助けに行く者たちについて、彼らの状況によっては、執事たちは牧師に対し、霊的な問題を覚えれば、霊的な支援や支えを牧師にしてもらうよう、注意を必要とする事態を報告することもなさなければなりません。このようにして、牧師と教会の中の困っている教会員の間の必要な橋渡しとなるのです。


 執事選出の際、主のみこころを求めることは重要です。資格が揃っておけば、と私たちは思いますが、みこころがまず、第一に重要です。それは、それほどに大切な仕事であるからです。


 最初の執事は、どのような時に選ばれたのかといいますと、教会が大きくなった時です。執事職が永続的な教会の役職であることの証拠としては、先ほど読みました、テモテ3章のところに牧師の資格とともに述べてあり、牧師が永続的であるのと同様と判断されるからです。


 執事の資格については、使徒6章とⅠテモテ3章です。霊的で知恵のある人。評判の良い人。尊敬され、裏表がない。大酒飲みでない。不正な利を求めない。きよい良心。信仰の奥義を保っている人。非難される点がない。一人の妻の夫(成人男性、結婚していて、複数の女をもたない)。それから奥さんは、威厳があり、悪口をいわず、自分を制し、すべてに忠実な人とあります。


 聖書的に、一つの教会に何人の執事が必要でしょうか。それは決まっていません。規模に応じて決められるといいでしょう。離婚した人は執事になれるでしょうかという問に対して、それはできません。なぜなら、子どもと家庭をよく治めることができないからであり、また、一人の妻の夫ではないからです。


 執事は、牧師をどのように助けるのでしょうか。世俗的な仕事を受け持つということと、経済的な配慮が必要です。そして、教会員との橋渡しとならなければなりません。執事は、他教会に転籍した場合、自動的にその教会の執事になれるのでしょうか。なれません。


 役目を真面目に行なわない執事に対して、教会はどうすべきでしょうか。三段階の手続きをとりまして、按手証明を返してもらうことになります。執事は、教会政治を決定する力を持っているでしょうか。牧師を選べるでしょうか。政治は教会がします。執事は教会のしもべであります。


 最後に、Ⅰテモテ3:11は、正しい訳かということです。執事の妻が正しい役です。口語訳では、「女たちは」と訳されています。



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