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牧師

教会員の受け入れについて

教会員の受け入れについては、二つの方法があります。

(1)体験とバプテスマより

(2)姉妹教会からの推薦状により


 この最初のやり方に従えば、教会に加入したいと願う人は、神が自分のたましいをどのように扱かってくださったかを、教会に述べます。信仰告白です。そして、彼らのうちにある望みの理由について説明します。そこで、もし彼らが教会の判断によって、死からいのちに移っているのであることが明らかになったとき、彼らは教会の投票によってバプテスマの候補者として立てられます。

彼がバプテスマを受けたとき、教会の会員のあらゆる資格と特権にあずかることができるという意味がそこに含まれています。教会への加入を認めるに当たっては、大きな注意が払われなくてはなりません。多くの教会は、この点において誤りを犯しています。そのような教会は、正しい注意を払いません。そして、非常に不完全な証拠に基づいて、彼らを会員として受け入れます。


 特に宗教的な興奮「リバイバル」のときに、この危険性があります。牧師は、バプテスマを受けようとする者が罪深く破滅した者であり、望みなき罪人であり、神の聖い律法によればまったく断罪されるべき者であることを自覚していること、また空虚な迷った心のもとに、ただ、イエス・キリストを信じて救いを受けた者であることを、確信していなくてはなりません。

バプテスマの後で大概行われることであり(通常は、その人にとって最初の主の晩餐式がその後で行われますが)、またすべての教会で行われるべきことであると思いますが、牧師は新しくバプテスマを受けた者に交わりの握手を差し伸べ、彼らが教会の会員としての資格を今や十分に持つにいたったことのしるしとすべきであります。また、この機会は、牧師に、キリスト者としての告白の意味とその義務について、何かを語るべき良き機会を提供するときです。


 会員として受け入れるもうひとつの方法は、姉妹教会からの離会推薦状による方法です。この推薦状は、その人のキリスト者としての人格および立場について、十分な推薦を有しているものでなくてはなりません。入会希望者はそこで受け入れられ、前述の場合と同じく、交わりの手を握り合うことによって入会式が終わります。


 姉妹教会とは、同じような信仰と教会政治を持つ団体を意味します。ですから、バプテスト教会は、幼児洗礼を行うようなどのような団体からも、推薦状を受け取ることはできません。そのような人は、そのまま会員に受け入れることはできないのです。そういった教会とバプテスト教会の間には、信仰の政治形態において大きな違いがあり、そのためにこの方法による会員の受け入れをまったく不可能にしています。ある場合には、教会のないところで、正しいバプテスマを受けた者が長く居住していた場合があります。また以前属していた教会が解散してしまったような場合、またはその他の状況により、正規の離会推薦状を得ることができないことがあります。このような場合、教会は入会希望者の霊的資格を調べるだけで満足し、その人を会員として受け入れなければなりません。


 離会推薦状とは、一つの教会から他の教会に対して、その信者の教会における立場を示し、他教会に推薦するものに過ぎません。しかし、他教派からの推薦状とか、他教派のバプテスマによるものは受け入れてはなりません。


 信仰者も、もし信仰と政治形態が同じような教会を見つけることができたなら、自分の住む地域社会の教会の会員として加入すべきです。もしその地域で見つからないなら、他の町にある教会でも、健全な教会に、その籍を置くべきです。


 教会は自発的な団体です。誰も強制的に加入されることはありませんし、救われたからといって自動的に入会されるものでもありません。教会は、誰も強制して加入させることができないのです。しかし、教会は、信者にとっては、加入してもしなくてもよいといったようなものではありません。キリストの命令を守ろうという従順、神と人のために働きたいという奉仕の使命、互いに励まし合う、そして伝道、神に栄光を帰したいといったクリスチャンの基本的欲求を満たすものだからです。


 教会はキリストの律法のもとにある団体です。当然会員となる資格がありまして、四つ上げられます。新生した心、信仰の心、バプテスマによる受け入れ、もうひとつ、キリスト者としての人格、および生活であります。教会は、これらの資格を持たない者を、会員として受け入れてはなりません。教会に加入することは非常に重要なことです。しかし、他の団体にはいるときのように、派手な、そして意識的なものは存在しません。このことは重要なことですが、多くの人たちはこの点を誤解していて、何か不足感を覚えることがあります。感情的な、涙する霊的感銘を必要としません。


 最後に付け加えですが、教会員の受け入れにはもうひとつのものがあります。それは復帰によるものです。除名された会員が、教会に謝罪を願い出ることによって復帰することができます(マタイ18:21,22)。姉妹教会から除名された会員の場合は、次の条件にかなうものでないと受け入れてはなりません。それは、彼が母教会に帰り、謝罪を行った場合か、もしくは調査して彼を除名した教会の方が誤っていることが認められた場合です。しかし、後者で大事なことは、今日のバプテスト教会間で見られる大きな欠陥は、姉妹教会の主導性と権威を認めない傾向があることです。ですから、後者についてはかなり難しく、積極的には勧められません。


 受け入れではありませんが、客員ということについて説明します。その地域に一定期間だけ居住する方で、その方の会員籍は母教会に保留されています。そのような場合客員として入会し、その教会の権威のもとに服し、またその教会のすべての活動に参加すべき立場のことです。

バプテストと名が付いていても、姉妹教会と考えてはならないものがあります。プリミティブ・バプテストまたはハードシェル・バプテスト、フリーウィル・バプテスト(救われた後も救いを失うことがある)、ジェネラル・バプテスト、セブンデイー・バプテスト(土曜日を安息日に、ユダヤ律法を当てはめる)といったものです。バプテスト教会という名前は持っていますが、真実のバプテスト教会ではありません。


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