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バプテストは、新約聖書的教会について信じること

 私たちが教会を組織して、こうしてここに存在している目的は何なのでしょうか。そのことは、明確にしておく必要があります。神が私たちの教会を偉大な救霊的な教会にしてくださるように、いつも願っておらなければなりません。

 

 福音的なキリストの教会とはどういうものなのか、それは目に見える地方の、聖書教理に忠実な教会のことです。そして、バプテスマを受けた信者の群れのことであります。Ⅰコリント1:1-10です。「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」


 マタイ18:17です。目に見える可視的教会ですから戒規を所有し、聖書教理に準じることをします。「それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」


 使徒5:11です。「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」アナニヤとサッピラの聖霊への欺きの罪で、死んでしまったときの反応です。教会が聖霊の宿る宮であり、これをないがしろにする者への懲罰が真実であることを知らされました。


 使徒8:1です。「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」世界宣教の命令を受けたばかりの教会は、それを無視して自分たちの生活に明け暮れていたときのことです。神はサウロを用い、とんでもない迫害を始められ、散らされていくということが起こりました。聖書的教会が宣教を思わなくなったとき、神の扱いがあるということが教えられています。


 新約聖書的教会は、キリストの福音の信仰と交わりに於ける誓約による平等の群れであります。使徒2:41,42です。「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」47節も読みます。「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」バプテストと主の晩餐という二つの礼典の厳守、祈りによる聖霊の導きの求め、これらがきちんとなされるところに、神の祝福がついてくるということが分かります。


 Ⅱコリント8:5です。「そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」ささげものの現実で、それが教会になされることで、宣教の働きが前進していったことの記録です。


 Ⅰコリント5:12,13です。「外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。」教会内のことは教会内で片付けなさいということです。君主や民主主義でなく、神主義、神の国として聖書に基づいたさばきがなされなければなりません。


 すでに申しましたが、キリストの礼典を守る教会です。Ⅰコリント11:2です。「さて、あなたがたは、何かにつけて私を覚え、また、私があなたがたに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います。」これは二つの礼典のことです。Ⅰコリント11:23です。「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、」主の晩餐式のことです。


 Ⅱテサロニケ3:6です。「兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。」教会の中が全員同じ思い、信仰になることはなく、教会の指導に従わない者が出てきます。そういう者たちから離れ、接触して影響を受けないように指導しています。


 それは、サタンが背後にあって教会の分裂活動に加担することになるからです。ローマ16:17-20です。「兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」


 新約聖書的教会は、キリストの律法に従います。マタイ28:20です。「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」教会が生んだ教会は、キリストの命令を守るようになっていきます。


 ヨハネ14:15,21です。「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」キリストの戒めを守るはずだというのです。ヨハネ14:21です。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」さらに、Ⅰヨハネ4:21です。「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」


 みことばにより与えられた賜物の力、権利を行使し、出し惜しみをしません。エペソ4:7です。「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」誰にも賜物が与えられています。それを用いる目的は、教会の徳を高めるために用いるのです。Ⅰコリント14:12です。「あなたがたの場合も同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。」ピリピ1:27では、いつでも一つになって居れていると、堂々とあかしできる教会になりなさいと勧めています。「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、」


 聖書で認められた役職は牧師と執事だけであります。ピリピ1:1です。「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。」監督とは牧師のことです。使徒14:23です。「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」長老とは牧師のことです。各教会伝道牧師が立てられていることが分かります。Ⅰテモテ3章とテトスに、牧師と執事の資格が教えられています。すでに詳しく学びましたから、そこは読みません。


 長老、監督、牧師は同じことばです。使徒20:17,28です。「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。・・・あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」


 新約聖書的教会以外の教会はすべて、神について正しい知識を持っていない人たちにより作られたものです。Ⅰコリント15:33-34です。「思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。」


 これらの教会は誰が始めたのかというなら、それはサタンです。Ⅱペテロ2:1-3です。「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。」;


 Ⅱテモテ4:1-4です。「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」


 使徒20:27-30です。「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。」


 Ⅱコリント11:12-15です。「しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。」


 新約聖書的教会は重要であり、神がこの地上に、その道からでとどめ置かれている組織なのです。なぜなら、真理の柱の正しい教会がなくなれば、いくち聖書だけがあっても意味がなくなるからです(Ⅰテモテ3:15)。


 そういうことで、私たちが新約聖書的教会を見出す力が備わっていなければなりません。正しい起源としてイエス・キリストから始まっているかどうか、正しい教理として聖書に合っているかどうか、その判断はバプテスマについての考え方から分かります。そして、正しい組織を呈しているか、可視的教会で、牧師と執事の役職しか認めていないかどうか、最後に正しい伝道をしているかどうかといったことです。

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