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  • 牧師

バプテストは神についてどう信じるのか

(祈り)真の神について、私たち一人ひとりが、もっと良く知ることができますように。


 唯一の生ける、真の神は、無限の賢い霊でありまして、その名はエホバ、天地の創造者で、崇高な統治者です。このように定義される聖句はたくさんあります。いくつか開けましょう。まず、ヨハネ4:24です。「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」詩篇147:5です。「われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。」詩編83:18です。「こうして彼らが知りますように。その名、主であるあなただけが、全地の上にいますいと高き方であることを。」


 新約聖書に戻り、ヘブル3:4です。「家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。」そして、ローマ1:20です。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」再び、旧約聖書に戻り、エレミヤ10:10です。「しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。」


 神は、とても十分に表現しにくい、輝ける至聖者であると、聖書は断言しています。出エジプト15:11です。「主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。」


 神は、名誉、信頼、愛をといったものを、被造物からことごとく受けるに価するお方です。マルコ12:30です。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』」黙示4:11です。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」


 神は、ご自身を信じる者たちに対し、父と子と聖霊という三つの位格で現れます。マタイ28:19です。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」ヨハネ15:16もそうです。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」三つの位格はそれぞれ別々に働かれるのではなく、完全な調和を維持されます。ヨハネ10:30です。「わたしと父とは一つです。」


 神は、人間の贖罪のために、特別で特色ある職務を完全に果たすお方です。エペソ2:18です。「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」Ⅱコリント13:13です。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」バプテストは、以上のような神を信じています。


 神を学ぶ学問を神学と申しますが、幾多の学問、科学、医学、薬学、生物学、経済学、政治学などありますが、すべてそれらの上に君臨する学問です。世界最高の学問が神学です。幾多の人間の知恵というのは、人間にとって益になるものですが、用いられ方によっては害にもなるものです。だから神学が必要で、すべての学問の上に、最初に神学を位置させておかなくてはなりません。


 この世の秩序の存在は、神に対する信仰を私たちに起こさせます。生物学的には、食物循鎖、人間の社会における、親子の関係、夫婦の関係、社会的関係、秩序というのが存在していること、それらが私たちに教えるのは、最初に神ありきの信仰を思い起こさせます。


 神の存在は自然界、社会を見ても明らかなのに、すべての人間は、生まれながらに神の存在を否定します。そういう者を聖書は、愚か者だと断じています。詩編14:1です。「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。」


 唯一の神がいらっしゃるだけで、他に神はいないのです。創造主ということから説明してみると、すぐに分かる真理です。世界が創造されたということを認められるなら、多数の神々が造ったなど言えないことになります。


 神は聖さの中にあって、栄光を持っていられます。聖、きよい、絶対的きよさであられますから、栄光を受けるのにふさわしいのです。まったく罪がありませんから、栄光を受けられるのです。人間はどんなに頑張ってみなから評判を得ても、罪人ですから、栄光を受けられる者になることはできません。イザヤ6:3です。「互いに呼びかわして言っていた。『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。』」


 神は、すべての栄誉を受けられるお方です。世界創造された神の目的は、ご自身だけが栄誉を受けられるためです。他に栄誉をささげる者が存在すること、神は決して許されません。


 神は、ご自身を三つの人格において現しておられます。父と子と聖霊であり、三位一体の神として人に現されます。みなさんのよくご存じのことです。神の三つの人格は、すべて相等しいということです。本質において等しいのですが、人格において異なるということです。上下関係がありまして、父の下に子があり、子の下に聖霊があります。聖霊は子に栄光を帰し、子は父に栄光を帰します。

三つの人格は、それぞれ人々を贖うわざにおいて、違った役割の中で、共に働かれます。聖霊の導きを受けて、子の贖いのわざを信じるようになります。父が子を送ってくださいました。


 神の存在は、どうして知るようになるのかというと、自然現象とみことばによります。みことば、聖書により神を知るということは、特別啓示と呼ばれます。ヨハネ14:6です。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」自然を通して神を知るようになること、一般啓示徒呼ばれます。ローマ書にあります。


 科学者は幾万いますが、偉大な科学者とは、神の存在を信じる者たちです。彼らは造り主のことをまず調べますし、人間の限界を知っています。


 神の力をどのように知ることが出来るかというと、自然を通して、聖書を通して、歴史を通して、そして個人的経験を通して分かります。


 神の性格をどのようにして知ることが出来るのかというと、みことばによって、すなわち、イエス・キリストを通して、より具体的に知ることができます。神が存在することについて、人はどうして知ることが出来るのかというと、信仰によって、聖書、自然界を通してであります。


 最後にまとめましょう。子は神であります。Ⅰヨハネ5:20です。「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」


 父は神であられます。マタイ23:9です。「あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。」Ⅰコリント8:6です。「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」


 そして、聖霊は神であります。使徒5:3,4です。「そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」イザヤ61:1です。「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、」


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