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教会の他の役員について

 (祈り)教会のすべての役職のために、彼らがまったく主にゆだね、教会にあって与えられた義務を、欠けることなく誠実に行うことができますように。


 教会では、牧師と執事だけが聖書的に永続的な役職です。しかし、教会が書記を置くことは、賢明なことです。また政府の要求に従って、これは宗教法人の場合ですが、理事を置くこともできます。


 教会の書記の役目としましては、もちろん、教会の色々な会議の記録を保管することであります。正確を期するために、教会の事務会合においては、前の会合の記録が読み上げられ、必要なときには訂正され、教会によって承認されることが必要です。


 理事というのは、通常教会の財産の法律的な代表者となります。彼らは教会によって選ばれます。彼らは公的な存在として選ばれます。なぜならば、国家の法律に関して言えば、財産は常に誰か個人の名義で登録されなければならないからです。ですから、理事がどのようにして選ばれるかということは、国家の法律が定めるところに従ってなされなければなりません。これは国や州によって異なります。もし法律により、教会が理事のすべてを選べるのであれば、そうすべきです。もちろん、これは前述したように、国家の法律の要求するところによって決まります。通常、教会が理事の数を決め、そして教会の中から理事を定めるのです。これが一番良いやり方です。


 理事の権限は、非常に制限されています。彼らは、教会の霊的なことがらに関しては、口を差し挟むことはできません。彼らは、礼拝の場所を支配することはできないのです。それがどのように使われるべきだとか、誰が説教すべきだとか、また誰が説教すべきではないとか、言うことはできません。こういうことはすべて教会の仕事です。


 もちろん、理事は教会に一会員として、他の会員とともに、教会の財産をどう処分すべきだとか、今の建物を売却すべきだとか、新築すべきだとかといったことを討議して、定めることはできます。しかし、理事としては、彼らはこのようなことを定める権限は持っていません。


 教会が命令した場合、彼らはその教会の財産の代表者となり、代表者として立ち入り検査に立ち会うとか、そういったことをします。しかし、理事としての霊的な働きもすることはありません。このことがよく覚えられ、実行されていたなら、多くの教会が問題を持たずにすんだということができます。


 ある教会では、理事たちが勝手に牧師の謝礼を決めたり、彼らの意見に従ってそれを増額したり、減額したりしているということです。また理事たちが合唱団を雇い、オルガンを買い、会堂の管理人を雇ったりします。これらは弁護することのできない誤った習慣です。理事たちは、こういったことをする権限をまったく持ち合わせていません。教会の政治は、教会の会員たちの手にあります。牧師の謝礼がいくらであるべきかとか、礼拝の音楽は、聖歌隊を用いるべきだとか、楽器を使うか否かというようなことは、教会自体が決定すべき事柄です。教会の独立性という根本的教理をあやうくするような事柄は、何一つ行われてはなりません。


 ですから、どのような教会でも、法人の理事とか執事が別個のものであることを、よく考慮しておくことが必要です。そうすると、どんな教会でも理事は執事がなったほうがよくないでしょうか。それに対しては、そうだと言いたいのです。理事たちは、この世における教会の利害のために行動します。そして、教会のすべての利害関係は、それが物質的であれ、霊的であれ、執事たちの支配の下にあるべきです。もともと彼らは、この目的のために選ばれたのです。そして、執事たちが彼らの義務を十分行っていくとは、理事たちの存在よりも重要なことなのです。


 もし教会がこの原則に従って行動するならば、時に執事の数を増やさなければならないかもしれません。そうすべきです。こうすることによって、たぶんどの教会においても、執事は正当に尊敬され、確立されることでしょう。


 人々は、理事を選ぶときには、仕事のために、十分な能力のある人を選ぶからです。そして、そのような人こそ、執事に適当した人たちだからです。しかし、このことの一番良い根拠は、これが聖書的なやり方だということです。そして、聖書には、理事が教会の役職として書かれていないからです。イエス・キリストの教会は、各個的独立、自治の団体です。すなわち、バプテスマを受けた信仰者たちの団体です。そして、組織された団体は役員を必要とします。教会と教会のかしらであるイエス・キリストに対して、明確な責任を有しています。


 そういうことで、教会で選ばれて、按手を受けない役職とは理事、書記、会計であります。理事の存在理由と責任については、法律的な代表者で、世的な働きで、教会に従う立場にあり、霊的な問題に口出ししてはならないということです。


 教会には、何種類の役職があるかというと、五種類であります。教会によっては他の役職を立てる必要があるかというと、それはありません。さらに、役員の留任期間はどのくらいかかというと、一年間です。それは永続的な役職ではないからです。牧師の留任期間を、なぜ定めてはならないのか、改めて考え直しますと、仕事に打ち込めるためであり、按手しておられますから、軽々しい役職ではないということです。一方で、執事の留任期間を、なぜ定めてはならないのかというと、按手していますし、軽々しい役職ではないからです。


 最後に、役員の選挙は、どのように行われるべきでしょうか。その議場でいきなり行われるべきではありません。あらかじめ、按手を受けた者たちによる委員会の推薦により、教会の選挙で決めるのがよいでしょう。牧師や執事の任命でもありません。やはり教会が決めるべきです。


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