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  • 牧師

聖書について

 (祈り)私たちが、聖書の語る偉大な真理を学ぶとき、私たちが良いクリスチャン、そして強いバプテストとなることができるように。


 聖書は、聖霊に動かされた人々により書かれたものです。神の教えの完全な宝であります。Ⅱテモテ3:16,17です。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

 

 聖書は、神ご自身が著者であり、救いをその目的としています。Ⅱテモテ3:15です。「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」


 聖書は、誤り一つない、真理の書であります。箴言30:5,6です。「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。」


 聖書は、神のさばきの原則を明かします。ローマ2:12です。「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。」また、ヨハネ12:47,48です。「だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。」

 

 聖書は、世の終わりまで存続し、キリスト教会の真の中心です。ピリピ3:16です。「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」

聖書は、至高な規範であり、それによって人間の行為、信条、所信らが試されると信じます。

 

 聖書ほど攻撃の対象となるものはありません。聖書信仰を邪魔するための攻撃にはどのようなものがあるでしょうか。物語的で、科学的でないというように攻撃してくるものが多いようです。しかし、みなさんご存じのように、実際は、非科学的なことは何ひとつ書いてありませんし、事実のみしか書いてありません。


 色んな分野での聖書攻撃に対して、クリスチャンが聖書だけの知識で対抗するには、以下の聖句が必要です。詩編111:10です。「主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。」Ⅱテモテ3:16です。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」ヨハネ12:38です。「それは、『主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか』と言った預言者イザヤのことばが成就するためであった。」イザヤ53:1です。「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。」


 私たちは、神のみことばを信じる信仰について弁解する必要はありません。聖書が真実に何を教えているかを知ったときに、信仰はしっかりと建てられることになっています。ヨハネ8:32です。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」


 聖書は霊感を受けた書物であります。Ⅱテモテ3:16はすでに読みました。Ⅱペテロ1:20,21です。「キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」


 神のみが、救いの創始者であり、また救いの目的であります。創世3:15です。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」また、イザヤ53:5,6です。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」ヘブル12:2です。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」


 聖書は完全で偽りはありません。マタイ5:18です。「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」また、マタイ24:35です。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」


 聖書の中に書かれてある原理に従って、人々がさばかれることを信じます。黙示20:12です。「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」伝道11:9です。「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。」詩編9:8です。「主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。」


 聖書が一致と合同のための真の原則であることを信じます。

 

 聖書が、人間のすべての意見をさばき、決定すべき唯一の規範(定規)であると信じます。

聖書は、歴史的、科学的に正しいのかと言うと、正しいのです。水の循環について。伝道1:7です。「川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。」海の中に道があること、海流のことですが、記述があります。イザヤ43:16です。「海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、」


 聖書を与えられて、神はどんな役割を演じられたか。啓示。著者に、霊感によって書かせられました。聖書を守ってくださっています。


 聖書形成にあたって、人間の役割は。霊感によって、守られながら、真面目に書いたということです。人間の役割で、誤り得る可能性はあったかのでしょうか。ありませんでした。


 長い間、誰が聖書を保存してきたのでしょうか。バプテストの5,000万人以上が殺されてきました。彼らはいのちをかけて、聖書だけでなく、その内容を守ってきたのです。


 霊感というとき、それは、聖書中の思想だけを取り上げて言っているのでしょうか。マタイ5:18です。「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」これが逐語霊感を証明しています。これに対して、思想霊感というのがありますが、聖書の思想が霊感によっているというのです。間違っています。


 ならば、翻訳した聖書はどうなのでしょうか。翻訳は人間がするものですから、原語にきちんと合った言葉がないとか、間違った解釈から当てる言葉が違うと行ったことが生じます。



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